前回は、文化財建築を見る際に必要な価値の見分け方の中でも、「仕事の良さ」に関してお伝えいたしました。

今回は、その文化財建築がいつ頃建ったのかという「年代判別」に関して詳しくお伝えしていきます。価値をきちんと理解することで、その文化財をより良い状態に保存・活用することが可能になります。

1) 「柱」に注目

文化財建築の年代判別においてわかりやすいのは「柱」です。特に社寺建築においては「芯去り材」が使われています。「芯去り材」とは、木材の芯を外したもので狂いが少ないのですが、非常に大きな径の原木が必要となり、価格的にも大変高価です。

一方「芯持ち材」とは、木材の年輪の中心部分が残っている木材のことです。同じ材料であれば、「芯持ち材」より「芯去り材」の方が高強度です。

(1) 柱の形

「円柱」は江戸時代より前の社寺建築にみられます。「円柱」を作る際は、丸太をそのまま丸く加工しているのではなく、一旦「八角柱」を作ってから角を落として作るので手間暇がかかります。

江戸時代には、「円柱」の床下部分は「八角柱」のまま残されるようになりました。その理由は2つ考えられます。一つ目の理由は、円柱にする手間がかからないからで、二つ目の理由は、床下部分の材は少しでも材に厚みがあった方がよいからです。

明治時代後期から大正時代にかけて、「丸太」から「円柱」をけずる技術ができるようになりました。つまり、それより以前は角柱からしか円柱にできなかったのです。

(2) 背割りの位置

現代では、植林した木材を間伐した材料が多く、必然的に1本の木から1本の柱しかとれません。つまり、通常出回る材料が「芯持ち材」ということになります。

「芯持ち材」は、そのままなにもしないで使うと木材に必ずヒビが入るため、ヒビを防ぐために「背割り」を行います。

「背割り」とは未乾燥の針葉樹の「芯持ち材」などにおいて、製材後の乾燥による材面割れ(背割れといいます)を防止・軽減させるために行う製材の工法です。

実際には、丸ノコ盤で木材の中心部分にあらかじめ溝を切ります。

江戸時代の茶室にはすでに「背割り」がありました。「背割り」は、柱の中でも化粧材として使用される木材のみに行われます。

しかし、江戸時代は木材の真ん中ではなく「端」の方に「背割り」があるのが特長です。

以上のように、文化財における「年代判別の方法」を理解し、これらを踏まえてより良い状態で文化財が修理・活用されますよう、実務にお役立いただければと思います。