前回は、文化財建築がいつ頃建ったのかという「年代判別」に関してお伝え致しました。今回は、社寺建築に使用されている材種に関して詳しくお伝えしていきます。

特徴をきちんと理解することで、その文化財をより良い状態に保存・活用することが可能になります。

 社寺建築の材種変遷の特徴

平安時代までの古建築は部位に関わらず、ヒノキが使われています。同様に鎌倉時代・南北朝時代の社寺建築もほぼヒノキが使われていますが、柱材にイヌマキ・スギが混用されていることもあります。

イヌマキは多くの場合アスナロ(ヒバ)と誤認されているので、ヒノキの代用としてかなり使われています。スギは大材のヒノキが入手できず、仕方なく使ったものです。

 室町時代の材種

マツ・ケヤキ・スギの混用が目立ちます。虹梁・桁などの目の届きにくい高所に使われる用材は特にマツの使用が顕著です。それらの全てをマツとする例も珍しくありません。

室町時代後期(16世紀)には、糸柾(1mmより狭い年輪間隔)のヒノキ(俗にいう尾州檜)の極細材を用いた社寺や書院造りが見られます。これは、それまで未開拓だった木曽檜の開発を意味しています。

 桃山時代の材種

豪華絢爛の印象が強いが、マツを中心とし、クリ・ケヤキ・カヤ・モミをはじめ手当たり次第の雑木を混用しており、用材としては、史上最低の時期ともいえます。

秀吉が関係した大規模な社寺建築(那智山青岸渡寺本堂など)は、すべての部位にマツを使用しており、秀吉が建立を命じた厳島神社大経堂もマツ・クリ・ケヤキ・スギ・クスなど多くの材種の混用がみられます。

耐用年数の短い(虫害を受けやすい)材種が使われたため、桃山時代の建築の現存例は意外にも少ない状況です。このことから、室町時代にはヒノキ大材の枯渇が想像されます。

江戸時代の用材

建築技術の発達により比較的に細い材木で規模の大きな建築が可能となりました。

そのため、細めのヒノキ柱を用いた建築も多く見られます。しかしそれ以上にケヤキの社寺建築も少なくないです。

一方、村の鎮守杜の本殿や地方寺院の本殿といった庶民が造営した社寺建築では、マツ・クリ・スギ・ケヤキが主として用いられており、ヒノキは少ないという特徴があります。

以上のように、文化財における「材種の変遷」を理解し、これらを踏まえてより良い状態で文化財が修理・活用されますよう、実務にお役立いただければと思います。