前回は、文化財建築の中でも、特に社寺建築に使用されている材種に関してお伝え致しました。今回は、民家建築に使用されている材種に関して詳しくお伝えしていきます。

特徴をきちんと理解することで、その文化財をより良い状態に保存・活用することが可能になります。

 民家建築の材種変遷の特徴

江戸時時代や明治時代の農家や町家といった民家では、使用されている梁はほぼ全部マツ丸太を使用していました。

柱についてもマツが圧倒的に多いのですが、クリ・ケヤキ・スギや判別の難しい雑木も見られます。つまり、ヒノキの大材が枯渇していたと考えられます。

農家の材種

農家では、古材の再利用が一般的でした。藩命により義務化されて実施していましたので、新材だけで建てられた例は非常に少ないです。

新築にも古材が愛用されておりますので、材種だけでは時代判別が難しくなっています。明治時代以降になると、ヒノキやケヤキの使用が増加します。

江戸時代に植林し、育てられたヒノキがようやく成長して、建築用材として使えるほどになったと考えられます。

 町家の材種

瀬戸内の町家では、柾目が美しく、色調が濃くて染付けが不要なツガが高級木として珍重されており、大規模な町家では総ツガの建築(「栂普請(つがぶしん)」と称されていた)が多く見られました。

 

マツ丸太の梁

江戸時代前期(17世紀)では、細め(7〜8寸程度)で曲がりの少ないものが多かったのですが、江戸時代から明治時代(19世紀)になると、太め(1尺5寸程度)で曲がりの強いものをこれ見よがしに使用する大規模民家が急増します。

曲がり材の使用は、建築技術の発展もあったでしょうが、村や町での地位の誇示といった意義も感じられます。

同時に大黒柱(家の中央部にある非常に太い柱)の太さも倍増し、マツの大木をふんだんに使用したものとなります。

明治時代以降は、ケヤキの大材の大黒柱や床柱(床の間の片方の装飾的な柱)が一般化していきます。これは、幕府からの倹約令(寛文8年(1668年頃制定))の廃止の結果でもあります。

以上のように、時代によって、また、建物の種類によって、使用されている材種や大きさに違いがみられます。文化財における「材種の変遷」を理解し、これらを踏まえてより良い状態で文化財が修理・活用されますよう、実務にお役立いただければと思います。